細い急な階段を登り切ると突如として浅間神社が現れます。富士山信仰の神社で御祭神は木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)となっています。縁起は平安時代。この場所は小高い丘になっており横穴古墳が見つかっています。昔の有力者のお墓の上に建っている神社なのです。
フェンス越しに遠くを眺めるとビルの合間からランドマークタワーが見えました。遡ること200年、ビル群もなくここから東京湾と富士の姿も見る事ができたのではないかと拝察します。
旧東海道を越えて横浜道へ入ります。横浜駅に戻っていく感じですね。平沼橋が見えてきました。現在は大通りとなっていますが、当時は海岸線の道でした。現在はだいぶ埋め立てられて海からは遠ざかっています。
平沼橋を渡り、右手の階段を降りると平沼商店街となります。
粒あんとこしあんを食べ比べましたが甲乙付けがたいですね。あんこが優しい甘さで美味しいです。蒸したてはもっと美味しそうだなと思いました。温泉地へ行きたい。
井伊直弼像がある掃部山公園(かもんやまこうえん)の石垣です。何のことはない石垣ですが、明治5年に御雇外国人の指導のもと積まれた西洋式の石積みとなっています。平成8年に災害防止の目的で一度積み直しが行われています。
山手地区界隈はこの方式の石積みが多くあり、ブラフ積みと呼ばれています。
開国当時は5名の外国奉行が兼帯で奉行所を取り仕切っていました。前例のない任務な上、外国人と直接話したがらない老中各位から仕事丸投げで発足当初はかなり苦労したようです。
大物主神はおやしろがなく、岩にしめ縄がかけてありました。巨石や巨木を信仰するものは歴史が古く私たちがまだ言葉をもたないの頃の神様とも言われます。ここにある巨石は本山の三輪山から運び込まれたと説明されていました。
野毛はのんべぇの聖地と呼ばれている場所で、駅前ビルのぴあシティ地下は立ち飲み屋が乱立しています。立ち飲みで昼から飲み始め、都橋方面に流れていく。5、6件ハシゴする人も多い場所です。
ゴールは関内駅です。吉田橋関門跡に案内板があり、吉田橋の移ろいを動画で見る事ができます。今は商業ビルが立ち並ぶこの場所も明治大正は洋風建築が次々と建てられ日本に生まれたプチ海外といった感じでした。
Youtube 吉田橋今昔物語
【まとめ】
横浜は移り変わりが激しい街なので当時の建物は中々残っていませんが、神社仏閣などはそのままの場所にありました。今はコロナ禍で誰かと出掛けることも少なくなっていますけれども、散歩であれば1人でも気軽に出来ますのでおすすめです。
横浜道を歩くのに横浜市資源リサイクル事業協同組合の冊子が役に立ちました。
リサイクルデザイン横浜道を歩いてみよう!
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